2016年2月13日土曜日

放っておけば、いつもと同じ土曜日だった




クラスに来てくださっている方の絵を観に国立新美術館へ

新槐樹社展


何百点くらいあるのだろうか、会場は結構広い。
子どもを連れてきたら一人なら押さえつけられるけど
二人いたら危ない、そんな広さだ。(わからん)


彫刻も少しあるが、油彩・水彩で半分づつくらい。
版画も少しあった。いや、実はほとんど版画って何を指すのかよく分からない。


入り口にある抽象画ってよく分からない
色がいい感じだな、とか、なんか格好いいな、
というのもあるけど、基本はよく分からない

でも分かったような顔をして成る程とうなづきながら観る



その後ぐるーっと写実っぽい絵の方へ回っていくと
これなら何かいいたくなる。もっとこうした方がいいんじゃないかな、とか、
描いてみたいなという気にもなる。

そしてまた抽象の方に戻ってきた。ここで少し驚いた。

抽象画の癖に、何か感じ方がはっきりしていたのだ。

みていて、もっとこうしたらいいのに、とか
この線が邪魔だな、ちょっと欲をかいたな
うまくまとめようとしたな、なんてことをいっちょまえに
はっきり感じるようになっていたのだ。

ちょっと驚いた。こんなに短時間でこういう変化があるものか、と。


つい先日、伊万里焼を収集している方にお話を伺ったばかりだった。
伊万里焼はすごく偽物が多くて見分け方があるのだけど、
何万点も見ていると、もう見た瞬間に分かるのだという。


なんでかって聞かれても分かんないんだよ〜
はっきり分かる。全然違うんだよ〜



何百点か絵を見ていると、こんなにも日々の暮らしには
いろんな瞬間があるのかと時間を忘れてしまった。


毎瞬を一瞬前と同じように過ごすこともできるが、
別のものにリアリティを持つこともできる。

ハーモニーのレッスンの組み立て方と一緒だ。


ところで、
国立新美術館のガラス仕立ての外壁は、掃除するのが大変そう。
建築家にやらせるべきだ。

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